聚楽第の跡地から

最近のこと、京都府警本部から私宛に留守電が入りました。特別悪いこともしていないのにとの思いで掛け直しますと、西陣警察待機宿舎の建て替えの件でということで、ほっと胸をなでおろしたのでした。この跡地が今回のニュースです。

 

数年前に宇治市でも宇治橋下流に太閤堤が発掘されて大きな話題になり、今後の宇治市の観光資源の一つになりそうですが、同じ豊臣秀吉が400年以前に建造した京都の“聚楽第”の跡地から本丸南側の掘部分が見つかりました。考古学ファンにとっては大きな話題です。

 

この説明会が、来る10月7日午前10時より、京都市上京区〇〇〇町通〇〇東入るの現地で行われます。(10月5日付京都新聞第25面より)この地名にご記憶の方もあるかも知れません。現在、私の住んでいるところでもあります。

 

新聞に載っていない情報を一つご提供いたしますと、この土地に隣接して辰巳公園という児童公園には、1945年太平洋戦争の末期に京都に投下された1トン爆弾の炸裂跡があります。今年の広野幼稚園の作品展には、この1トン爆弾の大きな破片をお借りしてきて展示するかもしれません。

 

現在では、ここに記念碑も立てられ、修学旅行生も時々タクシーで訪れているようです。考古学など興味のあるおじいちゃんやおばあちゃんがおられれば、連絡してあげてください。

蛇足ですが、このような説明会には固定らしき大勢の方々が見に来られるのが普通です。