6月2014

マーくん、快投すれども…

マーくんは誰かと言うと、今年からアメリカの大リーグに破格の契約金でニューヨークヤンキースと契約した田中将大投手のことです。こりマーくんが41年振りに開幕以来先発投手として16試合続けて(6イニング以上投げて自責点3以内に押さえ)、大リーグ記録に並んだという試合が昨日ありました。暇でしたので、この試合を見るとはなしに見ていたのでした。

相手はボストンレッドソックス、アメリカンリーグの東地区の超名門球団同士の対戦です。現在、日本からは、ヤンキースの外野に、日米4000本安打に挑戦しているイチロー、投手には黒田博樹とマーくんが活躍し、もう片方のレッドソックスには、元巨人の上原浩治投手や田澤純一投手などが在籍しています。

少し昔の話をたどれば、ヤンキースには松井秀樹選手、レッドソックスには松坂大輔(現レッズ)投手がある時期活躍したことをご存じの方も多いことでしょう。日本人にとって馴染みの深い2球団です。

さて、試合はヤンキースはマーくん、レッドソックスは、左腕のエース、レスター投手の投げ合い、1点を争うゲームとなりました。この日のレスター投手の出来は素晴らしく、マーくんを上回るものがありました。前半2回だったと思うのですが、ロマ選手の左中間奥深く飛び込むホームランで均衡が破られました。

ヤンキースもどうにか6回敵失などで1点を返し、マーくんを力づけましたが、勝ち越しまでとは行かず、大リーグでは珍しい、両投手がリリーフ投手の助けを借りず、9回まで投げ合うという試合となりました。

9回表、レッドソックスの攻撃も3番打者ペドロイア、4番オルティーズを三振(?)に撃ち取ってツーアウト、後一人でお役御免というところだったようですが、残念なことに、5番のナポリに右翼席ぎりぎりにホームランを打たれ、1-2で負け投手になりました。それでも、大リーグでの通算成績は11勝3敗、たいしたものです。今後も、この調子をできるだけ続けてほしいものです。

思い返せばつい先日、エンジェルスのダルビッシュ投手(元日本ハム)がノーヒットノーランを逃したのも、9回ツーアウトからでした。

城南地区バレーボール大会★

速報後の第2試合は、みのり幼稚園との接戦でした!

 

昼食を食べ終えた子どもたちが駆けつけたときは1セット目を落として2セット目に入っていたところでした。

相手に2点を許していたのですが、子どもたちが広野コールを送ると次々に点を取り返し、2セット目は広野幼稚園が僅差で勝利!!

今、世界を沸かせているワールドカップでもそうですが、応援の力は偉大だと感じた瞬間でした。

応援しに来てくださっていた保護者の方々と子どもたちと、3セット目の試合の動向に目が離せません。

広野幼稚園とみのり幼稚園が互いに一歩も譲らず、点を取っては取り返す名勝負に応援席が沸きました!

どちらも譲らず、14対14という本当に最高の試合運びでしたが、最後の1点を取られ、今年度の城南地区バレーボール大会は幕を閉じてしまいました。。。

 

試合後、キャプテンの吉川さんが「2試合目の後半に子どもたちの声援が聞こえてくると、疲れが吹っ飛んで不思議なパワーが漲ってきました!」と語ってくださいました。

そして「負けた試合を見て、子どもたちが何かを思ってくれていればなぁと思います。」とおっしゃておられたことに今日の保育の真髄を見た気が致します。

 

汗を流しながら、一生懸命戦うお母さんたちの横顔を見て、勝った・負けたの結果ばかりにとらわれず、一生懸命頑張ることが周りの人たちに感動や幸せを与えるということを感じてくれていると嬉しいです。

 

バレー部のみなさん、本当にお疲れ様でした!!

そして、感動をありがとうございました!!

これからも応援しています☆

速報!! 途中経過です!

今日は城南地区バレーボール大会が太陽が丘の体育館で開催されています。

年長児の子どもたちもバレー部のお母さま方を応援するために手作りの応援旗やメガホンを手に出向いています。

そしてたった今連絡が幼稚園に入りました!

 

第1試合、西小倉幼稚園に2対0で勝利!子どもたちの応援がお母さまに届いたのでしょうか。

第2試合も心から勝利を願っています。

人形劇の遠足に行ってきました

今日は年長児の子どもたちが、遠足に行ってきました。大型の観光バスに揺られながら、歌を歌ったりクイズをしたり、途中東寺の五重の塔を眺め、楽しいひと時を過ごしました。お天気もよかったので梅小路公園に立ち寄り、昼食を食べました。レジャーシートを広げ、外で食べるご飯は一段とおいしかったです。京都駅にも近いので、電車、貨物列車、様々な乗り物が通るのが見え、何台見られるかな?と数えて楽しみました。

その後テルサホールへ出向き、人形劇「桃太郎」を観劇し、迫力ある演出に思わず見入っていた子どもたち。手拍子や歌が自然と聞こえてきました。「また行きたいな!」「楽しかったな」という声がたくさん聞こえ、充実した一日となったようでした。

また、みんなで遠足に行ける日が待ちどうしいですね!

 

6月26日が巡ってきて

6月26日って何の日だって?と首をかしげられる方がほとんどだと思います。この日は今を去ること69年前、日本がアメリカに無条件降伏をする少し前、現在自分が住んでいる京都は西陣の地に1トン爆弾が投下され、何人かの方々が亡くなられ、また、かなり多くの方々が負傷されたのでした。京都に空襲はなかったと教えられた方々にとっては、(少々遅れていましょうが)“うそっ”という言葉が飛び出して来るのではないでしょうか。

爆心地は、今、自分が住んでいる家からは100メートル足らずのところです。ものすごい爆風でしたが、一つの倉のおかげ、また、その近くにあったお地蔵様のおかげでか、奇跡的に家は残りました。そのため、戦後10年ばかりは、2階には立ち入ることもできませんでしたが、現在では、立ち入る人さえおりません。

記念碑が建っている辰己公園は爆心地からは少しずれていますが、現在も、修学旅行生が時々タクシーで訪れています。かえって、京都の方々で知らない方が多いのではないでしょうか。

この地は、1000年以上昔の平安京と、400数年前の聚楽第の複合遺跡なので非常に開発が難しいのですが、爆心地付近は爆弾で破壊されていますので、簡単に許可が下りたとかで、話が盛り上がったこともあります。

そうそう、肝心の米軍機(B29)は京都市内では一番高い愛宕山のほうから、伊勢湾の方に向かう途中、積んでいた重い爆弾は帰り道の邪魔になるから、何の気なしに落としていったと聞いたこともありますが、真偽のほどはいかがなのでしょうか。

当時は厳重な箝口令が敷かれていたので、あまり資料も残っていないようです。特に、写真は、自分が知る限り、たった1枚だけです。隠された資料や写真は、今でもどこかにあるかと思うのですが・・・。

このところ、国会では安倍総理のもと、憲法の拡大解釈が云々されていますが、“もしも自分の身に”という仮定のものに考えてみられるのもいかがでしょうか。