人形劇の遠足に行ってきました

今日は年長児の子どもたちが、遠足に行ってきました。大型の観光バスに揺られながら、歌を歌ったりクイズをしたり、途中東寺の五重の塔を眺め、楽しいひと時を過ごしました。お天気もよかったので梅小路公園に立ち寄り、昼食を食べました。レジャーシートを広げ、外で食べるご飯は一段とおいしかったです。京都駅にも近いので、電車、貨物列車、様々な乗り物が通るのが見え、何台見られるかな?と数えて楽しみました。

その後テルサホールへ出向き、人形劇「桃太郎」を観劇し、迫力ある演出に思わず見入っていた子どもたち。手拍子や歌が自然と聞こえてきました。「また行きたいな!」「楽しかったな」という声がたくさん聞こえ、充実した一日となったようでした。

また、みんなで遠足に行ける日が待ちどうしいですね!

 

6月26日が巡ってきて

6月26日って何の日だって?と首をかしげられる方がほとんどだと思います。この日は今を去ること69年前、日本がアメリカに無条件降伏をする少し前、現在自分が住んでいる京都は西陣の地に1トン爆弾が投下され、何人かの方々が亡くなられ、また、かなり多くの方々が負傷されたのでした。京都に空襲はなかったと教えられた方々にとっては、(少々遅れていましょうが)“うそっ”という言葉が飛び出して来るのではないでしょうか。

爆心地は、今、自分が住んでいる家からは100メートル足らずのところです。ものすごい爆風でしたが、一つの倉のおかげ、また、その近くにあったお地蔵様のおかげでか、奇跡的に家は残りました。そのため、戦後10年ばかりは、2階には立ち入ることもできませんでしたが、現在では、立ち入る人さえおりません。

記念碑が建っている辰己公園は爆心地からは少しずれていますが、現在も、修学旅行生が時々タクシーで訪れています。かえって、京都の方々で知らない方が多いのではないでしょうか。

この地は、1000年以上昔の平安京と、400数年前の聚楽第の複合遺跡なので非常に開発が難しいのですが、爆心地付近は爆弾で破壊されていますので、簡単に許可が下りたとかで、話が盛り上がったこともあります。

そうそう、肝心の米軍機(B29)は京都市内では一番高い愛宕山のほうから、伊勢湾の方に向かう途中、積んでいた重い爆弾は帰り道の邪魔になるから、何の気なしに落としていったと聞いたこともありますが、真偽のほどはいかがなのでしょうか。

当時は厳重な箝口令が敷かれていたので、あまり資料も残っていないようです。特に、写真は、自分が知る限り、たった1枚だけです。隠された資料や写真は、今でもどこかにあるかと思うのですが・・・。

このところ、国会では安倍総理のもと、憲法の拡大解釈が云々されていますが、“もしも自分の身に”という仮定のものに考えてみられるのもいかがでしょうか。