光が丘幼稚園の50周年祝賀会へとその前に

精華町は近年学研都市として脚光を浴びていますが、光が丘幼稚園はこの新しい町が開発される前から付近の方々の要望に地道に十二分に応えてこられた幼児教育機関です。奈良の名門、西大寺幼稚園の第2園的な存在でしたので、創立当時からもっと脚光を浴びるかと思っていたのですが、当初の30年近くはなかなか園児の確保にも悩まれたことでしょう。それが今では300人を超え、京都府の南の幼児教育会を支え、その重鎮としても知られているところです。

広野幼稚園は、50年近く前から“西大寺幼稚園の音楽教育”(特に、木琴演奏)の影響を受け、当時“あやめ池遊園地”内に合った円形劇場での発表会には再三お邪魔していますので、何はさておき、お祝にと駆けつけたのでした。

会場は学研都市内にある京阪奈プラザ、開演は11時30分ですが、早めに学研都市を通り過ぎ、光が丘幼稚園に向かいます。祝宴で一日がつぶれることを見越して、開発前に近ごろどのように変わっているかを外から見せていただくためです。

近鉄京都線の山田川の駅前で西に進路を取ります。昔とかわらぬ道に心を和ませていますと、1キロほどで京都指定色の通園バスが目に止まりました。くるまを止めて見回しますと、新しく東側園舎を増築なされたようで、そのご発展振りに、長年のご苦労が身を結んでいるのであろうと祝意を表しました。

その後、光台6丁目にある星の光幼稚園、光台保育所、精華台保育所などを回り、それぞれの外観から受ける環境で学ぶべきものはないかと目を皿にしました。

ついでに、開演時間には、まだ間があると思い、近年社会問題としても新聞紙上を賑わわせた木津川台幼稚園(借金問題で未開園)にも訪れました。3・4年前に建てられたはずですが、設計があまりにもクラシックなうえ、敷地の真ん中に園舎を建てるという、ちょっと普通では考えない土地利用のため、未だ未使用、園庭などは草ぼうぼうの有り様、その当時、入園を決められていた方々のご心痛のみならず、今では近隣の方々の迷惑物となっている様子を見て、関係者がもう少し、事業者の選定に細心の注意を払われていたらと、他所事ながら思いました。お化け屋敷とならないうちに、一刻も早い後任者の決定が持たれます。