祇園祭で鯉山の映像を見て

“後祭りの宵山に行こうかな、どうしようかな”と迷っていた7時半過ぎ、何げなくテレビのチャンネルを変えると、祇園祭の鯉山が写っていました。リポーターのアナウンサーは三宅民夫氏です。

今では、NHKの硬脈の看板アナウンサーの一人ですが、昭和の終わりころ、広野幼稚園に来られたことがあります。バロック音楽に取り組んでいるということが大きなニュースとなり、現在の講堂の舞台に大勢のスタッフを引き連れ、当時の年長組の合奏しているビバルデイの“春”を撮りに来られ、後日、前後15分ほど放映していただいたことがあります。また、“鯉山”の方も、私は数日前の午前中に訪れ、佐甚五郎作と言われる巨大な鯉とベルギーのブリュッセルで織られたというタペストリー(じゅうたん)も間近で拝見してきたばかりだったので、映像を見て過ごすことにしたのでした。

このタペストリーの変遷がこの番組のメインだったようで、この巨大な豪華なタペストリーがどのようにして鎖国時代の日本に渡り、京都の町衆の手に入ったかという謎解きのような番組でした。

概略を述べますと、オランダ商人によって徳川幕府に献上された5枚のじゅうたんは、その後も数奇な運命をたどりました。メインの1枚は東京は芝の増上寺に祭られている徳川家康の位牌の向背のような形で飾られていたが、寺の火災により焼失したとか。その他の2枚は、莫大な借金の証文と引き換えに、京都の大商人に下げ渡されました。尾張の徳川家からは伊藤家(デパート松坂屋の前身)に、紀州の徳川家からは三井家(三井財閥の祖先)に伝わり、その一枚が鯉山に、もう一枚が鶏鉾に伝っているということでした。

びっくりしたことに、この3枚以上のもう一枚を、私は数日前に訪れた長浜の曳山博物館で拝見していたのでした。鳳凰山という山の見送りに使われているのです。この長浜のじゅうたんと鶏鉾のじゅうたんとは、元々は1枚であったのを切り離されたようで、切り離した後がぴったり合うのです。この話は長浜でも聞いていたのですが、まさかまさか、一週間も経たないうちに天下のNHKで同じ話を聞かられるとは・・・。あまりの奇遇さに、あまりおもしろくもないブログを書かしていただきました。