7月2014

祇園祭で鯉山の映像を見て

“後祭りの宵山に行こうかな、どうしようかな”と迷っていた7時半過ぎ、何げなくテレビのチャンネルを変えると、祇園祭の鯉山が写っていました。リポーターのアナウンサーは三宅民夫氏です。

今では、NHKの硬脈の看板アナウンサーの一人ですが、昭和の終わりころ、広野幼稚園に来られたことがあります。バロック音楽に取り組んでいるということが大きなニュースとなり、現在の講堂の舞台に大勢のスタッフを引き連れ、当時の年長組の合奏しているビバルデイの“春”を撮りに来られ、後日、前後15分ほど放映していただいたことがあります。また、“鯉山”の方も、私は数日前の午前中に訪れ、佐甚五郎作と言われる巨大な鯉とベルギーのブリュッセルで織られたというタペストリー(じゅうたん)も間近で拝見してきたばかりだったので、映像を見て過ごすことにしたのでした。

このタペストリーの変遷がこの番組のメインだったようで、この巨大な豪華なタペストリーがどのようにして鎖国時代の日本に渡り、京都の町衆の手に入ったかという謎解きのような番組でした。

概略を述べますと、オランダ商人によって徳川幕府に献上された5枚のじゅうたんは、その後も数奇な運命をたどりました。メインの1枚は東京は芝の増上寺に祭られている徳川家康の位牌の向背のような形で飾られていたが、寺の火災により焼失したとか。その他の2枚は、莫大な借金の証文と引き換えに、京都の大商人に下げ渡されました。尾張の徳川家からは伊藤家(デパート松坂屋の前身)に、紀州の徳川家からは三井家(三井財閥の祖先)に伝わり、その一枚が鯉山に、もう一枚が鶏鉾に伝っているということでした。

びっくりしたことに、この3枚以上のもう一枚を、私は数日前に訪れた長浜の曳山博物館で拝見していたのでした。鳳凰山という山の見送りに使われているのです。この長浜のじゅうたんと鶏鉾のじゅうたんとは、元々は1枚であったのを切り離されたようで、切り離した後がぴったり合うのです。この話は長浜でも聞いていたのですが、まさかまさか、一週間も経たないうちに天下のNHKで同じ話を聞かられるとは・・・。あまりの奇遇さに、あまりおもしろくもないブログを書かしていただきました。

 

ききょうサマースクールはじまる!

梅雨明けと共に今日から「ききょうサマースクール」がはじまりました。

通常のききょう塾に預り機能をプラスしたききょうクラブですが、春休みのスプリングスクールに続き、夏休みのサマースクールを企画しましたところ、たくさんの申し込みがありました。

毎日、数名が朝から来てくれるので、人数に合わせてどのイベントを入れていこうかとわくわくしています。

 

今日は紙飛行機を作り、遠くまで飛ばせるよう工夫を重ねながら記録会をしました。

先端にクリップを止めてみたり、翼を調整しながら繰り返すうちに9m20cmという最高記録が出ました。

午後からはブーメランに挑戦!厚紙を切るところからスタートです。3枚をバランス良く組み合わせてホッチキスで止めると…雪の結晶のような形に。

持ち方、投げ方、紙のそらせ方…自分であれこれ工夫してみる楽しさをいっぱい味わいました。

毎日、何か目標をもって楽しく過ごしていきたいと思います。

明日は何が待っているのかな…お楽しみに!

水陸両用の観光バスに乗って興奮

三連休の一日、長浜の文泉堂という本屋さんに出掛けました。こどもの広場のトップページを彩る巻頭言として使う、気の効いた文章を手っ取り早く見つけようとの考えからでした。もちろん、黒壁ガラス館などにも立ち寄ろうと魂胆もあったのでした。

ところが、朝早く着きますと、何となく昼からの空模様が危ぶまれます。そこで、急遽、午前中は観光、午後からは室内での仕事と心を切り替え、今年の3月から運行し始めたという水陸両用の観光バスに乗車することにしたのでした。


陸上を20分、水上を25分、所要時間は45分という短さですが、結構充実した時間でした。スタートは長浜八幡宮のお旅所から。すぐに湖岸道路に出て、豊臣秀吉が最初に築城したという長浜城の横を通り、現存する国内最古の駅舎で、日本の鉄道の出発点である東京の新橋駅を真似て造られたという旧長浜駅舎、ここは、梅小路機関車館には再々出向いたのでという方にはお薦めです。一筋の道路を挟んだ隣は、慶雲館、1・2月の梅の季節には盆梅展が著名です。

湖岸に出ますと、ここからが今回の見物、バスが船に変身します。ちなみに、運転手さんは観光バスの大型2種だけではなく、船舶関係の免許も必要です。スロープを下っていくのですが、ある時点ですばやくくるまを引っ込め、スクリュウを回し始めなければなりません。運転手でなくても緊張の一瞬です。

無事着水してからは、湖上から湖岸を眺めます。長浜城を起点に見渡せば、南には、琵琶湖大仏、かなり昔からある長浜ドーム、東海道線からも見えるエレベーター工場の(170メートルとか)実験棟などが見物(みもの)です。

船が半回転しますと、琵琶湖にある三つの島のうち、二つが目に入りました。多景島、沖ノ島です。湖上のスピードは、陸上に比べ随分ゆっくりしています。東の方向、陸の方に目を向けると“山本山”という名の山があるというのに驚きました。広野幼稚園では、上から読んでも・下から読んでも同じということで、“たけやぶやけた”とか“うまがまう”などのように、逆さ言葉の例として結構使うことが多かったからです。

ちなみに、バスの車高は3.8メートル、長さは12メートル、車幅は2.5メートル、値段は8000万以上とのことでした。

園長

(田島征彦氏の)祇園祭の型絵展へ

祇園祭が前祭りと後祭りに分かれたことは、ご存じの方も多いと思いますが、この中間の21日、午後からの気温が35度を上回る予想なので、8時前には歩きだしました。

まずは、新町通を北から下がっていきます。八幡山、後の祭りの先陣を切る北観音山、今年は一段と張り切っておられることでしょう。蛸薬師通を挟んで南観音山、新町通はここでおしまいと思っていましたら、今年は150年振りに巡行に加わる大船鉾は四条通を下がったところ、池坊短期大学の裏門のところにあったのでした。池坊には10年ほど前までの4・5年ほどだったと思いますが、幼年美術の会の夏期講習会が行われていましたので、広野幼稚園の教職員も随分お世話になったものです。

たまたま、大船鉾では、人出が少ないうちにと本格的な消防訓練が行われていましたので、後学のためにじっくり見学させていただきました。その後、10時になれば、300円で鉾に上がれるということなので、新築の今年にと心ひかれましたが、10時からということなので、先を急ぎました。

前祭りの山の一つ、山伏山町には染清流館というのがあり、その6階で旧知の絵本作家、田島征彦氏の祇園祭の型絵染の原型が展示してあるということ、この見学が今日の外出の主目的です。


入場料は300円という破格の安さでしたが、残念なことに、その会場には受付係を除いて、誰一人いなかったのでした。約30年前には、結構絵本界でセンセーションを巻き起こしていた方であったにもかかわらずです。幼児教育者はこんなところは、ぜひのぞいてほしいものです。

このブログを読んでいただいている方の中には幼児期に“じごくのそうべえ”が好きだった方もおられるかと思いますが、田島氏はその作者でもあります。


畳敷きの大きな会場にたった一人の鑑賞者ということで型絵染を心行くまで堪能いたしました。午後からも大勢の人で賑わうであろう祇園祭、「こんな穴場もありますよ」とご紹介させていただきます。

園長

終園式

今日は終園式でした。保育室で身だしなみを整え、引き締まった顔をして講堂へ入ってきました。4月から約3ヶ月でグーンと成長した姿が、立ち振る舞いからも感じられました。

毎年終園式には、器楽部のお母さまたちが演奏を披露してくださいます。子どもが楽しめるようにと季節に合った楽曲を選んだり、可愛い衣装で引きつけてくださったり、耳で楽しませるだけではなく、視覚からも楽しめるようにと趣向を凝らした演出を考えてくださっています。

今日は何が聴けるのかな…とワクワクしながら子どもたちと「おかあさ~ん!!」と呼びかけると・・頭に花を飾ったり、花の冠をかぶったお母さまたちが登場です!「かわいい♥」と子どもたちも大喜び。そして『アンパンマンのマーチ』『トトロ』と大好きな曲の演奏に大合唱♪♪ラストはスティッチの「アロハ・エ・コモ・マイ」です。そしてな・な・なんとフラガールならぬ“アロハママ”の登場!!曲に合わせて素敵なフラダンスを披露してくださいました。曲の題名でもあるアロハ・エ・コモマイ」のハンドモーションも前もって教えてくださったので、一緒に楽しむことができました!

お母さまたちもとても楽しそうに演奏したり、踊っているのを見て、「やっぱり音楽はいいな」と改めて思いました。

器楽部のお母さま方ありがとうございました。また素敵な音楽が聴けるのを楽しみにしています!

(写真は後日、掲載させていただきます!お楽しみに・・)