宇治川の鵜から赤ちゃんが誕生、おめでとう

夏の夜の風物詩、鵜飼いの鵜から赤ちゃんが誕生したという宇治市発のニュースが、昨夜流れました。4月に落慶法要が営まれた国宝、平等院のニュースには及もつきませんが、私たちの地元に生まれた明るいニュースです。

少し難しい話になりますが、鳥類には、インプリンティング(刷り込み)という特製があります。誕生してまもなく、自分の周辺にいる動くものを自分の親と思い込み、それに付き従うという行動です。かなり昔、岩波の映像研究所から出た16ミリでは、動いているボールを親と思い、その後を追うという画面に仰天したことがあります。

この鵜の赤ちゃんにも、当然、この特性が受け継がれ、誕生以前からこの日を心待ちにしていた何人かの鵜匠たちを親と思い、その行動をまねるということが予想されます。このことから、現在の日本の各地で見られる、鵜匠たちがさばく綱に操られる鵜飼いではなく、自由に鵜が川を泳ぎ回りながら、魚を飲み込み、鵜匠のところまで、持ってくるという古来の漁法が復活できるのではないかと織音の間では期待されているようです。

最後に、長年幼児教育に携わってきた筆者が思っていることは、児童文学の文豪、アンデルセンの“みにくいアヒルの子”、この文学的価値は十分認めながらも、インプリンティングの視点から一筋の疑問点を提示したいと思っています。

このお話は、『白鳥の親がアヒルの巣の中に卵を産みます。そこで育った白鳥の子どもは、「みにくい子ね」と仲間たちに下げすまれながら、徐々に美しい白鳥へ育って行きます』というストーリーです。もちろん、アンデルセンの時代にはインプリンティングという現象は知られていなかったことは重々承知しつつも、文学か科学かと狭間で悩み続けて数十年が過ぎました。

そういう訳で、広野幼稚園では、難易度のことはさておき、みにくいアヒルの子という本を読み聞かせたことはないのですが・・・