手すりが無い方から?

園庭には大きな太鼓橋と、小さな太鼓橋の遊具があります。

小さな太鼓橋には片方は手すり付き、もう片方は手すりが付いていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

この小さな太鼓橋、どちらから渡った方が子ども達は渡りやすいと思いますか?

実は、手すりがない方から渡る方が渡りやすいんです!

 

 

 

 

 

 

 

上の写真の様に渡り終えるので

降りるときに手すりがある方が、子ども達の恐怖心が和らぐのです。

遊具1つにしても、様々な意図が込められて作られているんですね。

 

 

マチュピチュの名に魅かれて京都文化博物館へ

広野幼稚園には地球に描かれた砂絵として有名なペルーの“ナスカの一筆書きの絵”に色をぬるという活動を年中児で行っています。このようなおもしろい教材となるものはないかとのかすかな望みを持ちながら、土曜日、ぱれっと広場のかたづけが終わった後、出向きました。

少々の疲れにもかかわらず出かけたのは、そこには、世界の自然遺産の中でも日本人が行ってみたい観光地として常に上位にランクされるペルーの空中都市、マチュピチュの立体映像が見られるということとともに、その終幕が間近に迫って来ていたからでした。入場したのは4時過ぎ、少々人出も少なくなったかなと思いながらの入場でしたが、予想に反した数の方々で賑わっていました。

展覧会の正式名は、マチュピチュ「発見」100年“インカ帝国展”。

インカ帝国とは、南アメリカの太平洋側、周辺の国々を制圧して巨大国家となった後、当時、世界の海の覇権を握ろうとしていたヨーロッパのスペインの野望の前にひとたまりもなくついえ去った黄金文化の国で、その興亡の歴史です。

会場で人気の高かったのは多数のミイラ像の展示でしたが、これはほどほどにと先を急いだ第4部、3Dのメガネを着用してのマチュピチュの映像は10分程度、あたかも現地を歩いているような感覚も味わえ、まずまずの満足感を覚えました。

4・5年前のことだったでしょうか、日本のマチュピチュと称される兵庫県北部の竹田城跡へ行ったことがありますが、それとはまったく比較できないスケールの大きさ、どのような権力者がこのような高い山々にこのような町を作ったのか、働かされた方々の暮らしはなどと、いろいろなイメージを広げたひとときでした。

残念ながら、子どもたちへの無形のお土産はありませんでしたので、同じ館内の北の端にある楽紙館で、七夕の“紙衣”と動物の形の紙風船を買って帰りました。

富士山の世界文化遺産登録、おめでとう

2月23日は「富士山(ふ・じ・さん)の日」だそうです。このことを知ったのは、一昨年の2月の23日のことでした。この日に平成23年度末の広野幼稚園の音楽発表会が行われていたのですが、この会で50年ほど前の子どもたちしか知っていないであろう「頭を雲の上に出し」で始まる「富士」の歌を年中児のあるパートが歌ったからでした。その当時、なぜこんな古い歌を!と絶句された方もあったのではないでしょうか。

この富士山が、先週の土曜日、カンボジアのプノンペンで行われた第37回世界遺産委員会で、日本政府が推薦していた(三保の松原を含み)世界文化遺産に登録されました。誠におめでとうございます。

あの美しい形をした富士山なら世界の遺産になっても何の不思議もないのではないかという方も多いことでしょう。ところが、登録されるまでにはいろいろないきさつがあったようでした。

普通なら、“自然遺産”として早々にでも登録されてしかるべき富士山。ゴミの散乱やトイレ問題などによる自然破壊などの理由により、申請を却下されて来たとも聞いています。それゆえ、自然遺産から文化遺産へと形を変えて申請された今回の登録は、地元の方のみならず、日本人の一人として素直に喜びたいと思います。

かなり昔の話になりますが、昭和39年の新幹線の開業時は富士山の姿がよく見える日は、少しスピードを緩め、館内放送があったように記憶しているのですが・・・。真実はどうだったのでしょうか。