昼間の二条城へ

好天に恵まれた勤労感謝の日の翌日、昨夜の長蛇の列を思い浮かべながら、二条城へ向かいました。普通なら堀川通りを真っすぐ下がるのですが、昨夜の教訓(?)を生かして、浄福寺通りを南へ、NHK京都放送局・二条中学校・朱雀高校と60年以上の昔、7年間も通った“いつかきた道”を歩きます。

数年前に知ったことですが、1000年前のこと、この道は平安京の政治的に重要な建物が軒を連ねていたようです。また、自分が卒業した中学校は民部省跡、高校は刑部省跡とは。そんなことはまったく知らない紅顔の美少年たち(?)は友達とのおしゃべりを楽しみながら、述べ2000日以上もこの道を行き来していたのでした。

それはさておき、なぜ二条城の受付まで650メートルという標識が出ているところがありましたが、昨日の賑わいはどこへやら、ジョギングを楽しむ方々が目に付く程度です。

東に折れて、二条城へ向かうつもりでしたが、足の向くまま気の向くまま、二条通りと御池通りに挟まれていつ神泉苑に立ち寄りました。今では、極太のうどんで有名な庶民的な料亭、平八さんの前庭のように感じられます。平安京の昔からある池で泳ぐオシドリやアヒルなどの動きに目の功徳を味わいながら通り過ぎます。(カットが望ましい?)

一人も待つことなく入場券を買い、二の丸御殿へ入ります。二条城は、徳川幕府の本拠地の一つでもありますので、たった1時間ちょっとの間に、豊臣秀吉の聚楽第から、平安京の内裏の横を通り、徳川幕府の中枢の地へ、1000年近くの時間差を行き来したことになりました。

二条城は、私にとっては中学時代はよく遊んだ場所ですが、現在では昔々の格式を取り戻していますので、近寄りがたい感じもしました。自宅から近いとはいえ、今後再び来ることもないかもしれないので、御殿の周り廊下を2周してその間取りや狩野探幽などの襖絵、厚みのある欄間の様子などを記憶に止めました。

幕府を動かした老中たちの部屋の白壁や襖絵が簡素に見えたのは、その前に、豪華絢爛なものを見過ぎたからでしょうか。