青山学院大学の優勝、山梨学院大学の健闘

近年一段と報道が華やかになった箱根駅伝、全10区間とも20000メートルを越す距離ですので、10人もそろえなけれえばならないのは、なかなか大変でしょうが、関東の多くの大学がこのニュース価値の大きさに目をつけ、選手の勧誘に必死のようです。

このお正月に行われた第91回の大会では、往路、復路とも青山学院大学の初優勝、しかも、10時間50分を切るという素晴らしい記録は、箱根駅伝史上初めてという、記録も記憶も残る大会となりました。

この中で、自分にとって新鮮な記憶だったのは、総合成績で8位に食い込んだ山梨学院大学でした。この大学は、例年、一番距離の長い2区を、ケニア人留学生が走るのが常となっていたのですが、今年は実力のあるオムワンバという選手が、前日の練習で脚を負傷(?)したとかで、急遽、日本人選手に変わり、戦力はかなりダウンしたということなので、スタート前から気の毒に思っていたのでした。そのうえ、その第1区を担った選手がブレーキ気味で、スタート早々の5キロ(受け持ち距離の1/4)ほどのところから、他の20チームからどんどん遅れ出すという始末、去年に引き続き、肝心のたすきリレーも不可能かと思われたのでした。

結局、第1走者は完走したものの、前の走者からは3分以上遅れの最下位、まして、エースが欠場していては、勝負にならないのでは・・・とあまりの悲惨さに、判官びいきも手伝って、その後もこの大学の順位に興味をもっていたのでした。

ところが、2区のランナーばかりでなく、ほとんどテレビ画面に写らなかった(?)後続の3・4・5走者もよく頑張り、1日目はなんと13位まで順位をあげたのでした。

芦ノ湖をスタートとする復路では、もちろん、繰り上げスタート、1位のランナーがスタートしてから10分を過ぎると、残りの学校は一斉に走り出します。道路を長期間、ランナーの独占にしておくわけにはいかないからです。

確か、8区だったと思うのですが、この区間を受け持ったランナーは右目が少し不自由な市谷龍太郎選手。本人はサッカーをやりたかったようですが、周囲の方々の勧めで長距離間を志したとのこと。ところが実力は本物、7区まで2分あまりあった前のランナーとのタイム差を50数秒(順位は11位)までに縮めました。その頑張りを目の当たりにし、よくぞここまで成長されたものと感激しました。