NHK“ブラ タモリ”の番組で

お正月も終わりの頃に“ブラ タモリ”という番組がありました。昨年、超長寿番組の司会を終えた“タモリ氏”が京都を訪れるという番組でした。

番組のテーマは、明治維新の際、都が東京に移され、千年の都京都が人口減、没落の道をたどろうとしていたとき、田辺朔朗博士の設計の元、琵琶湖から京都に水を引いてくるという壮大な計画、疎水の着工・完成、これに伴う事業として、船が山を登るというインクラインの建設、この大事業によって、この電気を有効活用した日本で最初の市電が走り、その他の産業も振興し、新たに地方から人々を引き付け、京都の没落をくい止めたのでした。

この詳細を南禅寺の境内を横切る水路閣などで紹介した後は、新京極へ。新京極が維新時、お寺の真ん中を横切って作った道路であるということにもびっくりしましたが、新京極の中にあるお宮さんの鳥居の上辺が室内に食い込んでいる建物があることにも驚きました。

この維新時より約300年も前には、京都の町は応仁の乱によっても壊滅的打撃を受けました。その荒れ果てていた京都を再興したのは、時の天下人、豊臣秀吉でした。このとき、秀吉が3か月足らずで完成させたというのが洛中・洛外を分けるお土居です。この紹介が番組の後半部でした。

自分たちが知っている限り、お土居は京都の町の数カ所(北野の天神さんが著名)に切れ切れに残されていると思っていましたが、京都駅の0番ホーム(山陰線の発着駅)の線路の下とか、鷹峰の民家の基礎の下にも残っているということを番組で教えていただきました。

それにしても、タモリ氏の博学には驚きました。50年近く前には、鷹峰街道をよく歩いていたとか、松野醤油店のこととか、この辺りには“森田”姓が多いとか、地元に近い人間(自分)でもあまり知らないことをご存じなのにはびっくりしました。

今年の4月から、改めて再出発する番組“ブラ タモリ”が楽しみです。