赤穂浪士の討ち入りの日(12月14日)に

毎年、年末になるとどこかのテレビ局で大石内蔵助を筆頭とする赤穂浪士の討ち入りが放映されます。日本人の多くは多かれ少なかれ半?官びいきなのでしょう。源義経などもその流れの中にいる人物なのでしょうね。

さて、今年の12月14日は不思議なことに東京にいました。予定では会津若松にいるはずだったのですが、あいにくの寒気(雪)で予定を変更したのでした。

NHKの今年の長編ドラマである八重の桜の最終日を翌日に控えてのことですので、何が何でも会津を目指したのですが、翌日の自分の弟の式典の時間に間に合わないと非常にまずいので、断念したのでした。

急に土曜日一日の予定がなくなってしまったので、浅野内匠頭やその奥方である瑤泉院、大石内蔵助ら47士、これらの方々を匿い、武器などを密かに用意した義商、天野屋義兵衛らのお墓のある泉岳寺を訪れました。

(泉岳寺を訪れるのは、今年2回目です。何かご縁があるのでしょうか。)午前10時には何かのイベントが行われるのではないかという予想でしたが、11時からお坊さま方の読経があるとのことでしたので、近くにある内蔵助以下14名の方々が切腹された肥後(熊本)の細川家のお屋敷跡に行って来ました。この同時刻、近くの保育園の園児と見られる子ども10人足らずが二人の先生に付き添われて通り過ぎました。多分お散歩だったのでしょう。しかし、残念なことに、まったく、足を止めることはありませんでした。

 

11時からの読経は、23人の僧侶の参列のもと行われましたが、時間はわずか10分足らず、ちょっとあっけないものでした。

去年の12月14日は、バスのツアーで赤穂にいたのですが、大石神社の境内などでは山伏たちによる荘厳な読経が声高らかに唱えられ、この町全体が盛り上がっていました。

また、何年か前に見学した京都は山科の毘沙門堂から大石神社に向かう隊列の後ろについて回ったことがあるのですが、寺西幼稚園の園児も参加していてなかなか盛大なものでした。
これに引き換え、大東京で行われる義士祭は、供養するという本来の意義で行われているようで、大きなイベントを期待した人間にとっては少し予想外なものでした。