「巨大あいうえお表」が登場!

幼稚園の中に、何やらカラフルなものが新しく置かれました・・・

そうです、あいうえお表です!

ですが、単なるあいうえお表ではありません。

それは、園長先生や川上先生、年少児の担任の先生で保育室にあるおもちゃの整理をしていた時のこと。「あ!」と、園長先生にアイディアが浮かばれ、今までおもちゃとして年少児の各保育室に置かれていた、ひらがなの型はめになっているソフトブロックをあいうえお順に並べたのでした。そして運転士さんに頼み、それを現在使っていない黒板に丁寧に貼っていただいたのです。

これで、巨大あいうえお表が完成したのでした。

北門近くの廊下に出した時は、あまりの大きさにびっくりしていた子どもたちでしたが「あ、私の名前に入ってる文字や!」「あ、これ先生の名前に入ってるで!」などと大盛り上がり。

年長児の子どもたちは「も・み・じ」「に・ん・じ・ん」「ひ・ろ・の・よ・う・ち・え・ん」などと、あいうえお表から器用に探し、スピードを競い合っていました。

また、これは元々型はめになっているので、文字を探し当てるだけでなく、実際に指でなぞってひらがなの形状を理解することもできます。

 

なんとこの巨大あいうえお表は、年少児全保育室からこのソフトブロックを集めると合計3セット揃うことが判明し、早速残りの2セットを運転士さんに作っていただいています。

園長先生の発想力と想像力に改めて感銘を受けた私でした。

残りの巨大あいうえお表はどこに置かれるのか・・・ぜひ探して見てくださいね!

松尾芭蕉の義仲寺から 紫式部や良弁和上の石山寺へ

広野幼稚園が使っているカルタの中に俳聖カルタと言うのもあります。このカルタを売っているところは、10数年前は4か所しかありませんでした。その一つが滋賀県大津市にある義仲寺です。このお寺は琵琶湖ホールから5分足らずのところです。ホールまで出向いた先生方はここらまで足を延ばせば、より日ごろの保育に深みが出るのになあと思っている次第です。なぜなら、朝日将軍木曽義仲とともに、俳聖松尾芭蕉も葬られているからです。

 

このお寺に向かったのは琵琶湖ホールでのいちょう組のクシコスポストの演奏が終わった後のこと、広くもない寺領を散策した後、芭蕉の“古池や
かわず飛び込む 水の音”の自筆の短冊を“こどもの広場の巻頭言”に使わしていただこうと購入しました。

今にも降って来そうな天候のなか、その後は、琵琶湖を左手に見ながら、江戸時代弥次さん・喜多さんも通ったであろう旧東海道をたどり、石山寺へ向かいました。7キロ内外だったでしょうか。

桜や紅葉の頃、名月の季節などは大賑わいを見せる石山寺ですが、折りからの寒波で訪れる人もまばらです。しかしながら、少なければ少ないで、賑わっている時には見えなかったものが見えて来ます。

その一つは、“まんが日本昔ばなしのDVD第46集”にも出てくる東大寺の修行僧で、多くのカラスにさらわれ、柳生の里の大きな杉のてっぺんに吊り下げられたという“良弁和上”がこの寺の開祖であったということです。“まさか、あの小僧さんが・・・”と改めて感動したのでした。これらは子どもたちにも分かるお話です。

もう一つは、源氏物語の作者である紫式部の像が展示してありますが、この像は、御所人形作家、第10代の伊藤久重氏の作品だったということでした。伊藤氏の御所人形は、広野幼稚園でも一つはほしいと願っているものだからでした。

 

お寺を出て湖畔のお店で食べたシジミご飯は、寒さに加えて遅いお昼でおなかもすいていたので、最高のおもてなしでした。

城南地区園児大会

昨年の10月、雨のため延期になりました城南地区園児大会が本日、太陽が丘体育館で無事開催されました。

来年度から同じ小学校1年生になる子ども達が集まり、歌をうたったり、かけっこやフォークダンス“ダンケルクの鐘”を踊り、他の幼稚園と親睦と交流を深めてきました。

同志社大学のチアリーダー部の方が華麗な演技を披露してくださったり、各園の先生達のパラバルーンの発表では、運動会を思い出し「ライオンキング!」と喜んで見ていました。

 

最後はみんなで合唱し「楽しかった!」と笑顔で終えました。

帰る頃は気候も良く、遊びの森で大好きなお弁当を食べて帰ってきました。

近頃は、朝と昼で気温の温度差が大きかったりする中、お家でも服装を調整してきてくださったりご協力ありがとうございました。

食後は迷路やアスレチックを楽しみ、年少児の遠足を思い出したりしながら大変喜んでいました。