松尾芭蕉の義仲寺から 紫式部や良弁和上の石山寺へ

広野幼稚園が使っているカルタの中に俳聖カルタと言うのもあります。このカルタを売っているところは、10数年前は4か所しかありませんでした。その一つが滋賀県大津市にある義仲寺です。このお寺は琵琶湖ホールから5分足らずのところです。ホールまで出向いた先生方はここらまで足を延ばせば、より日ごろの保育に深みが出るのになあと思っている次第です。なぜなら、朝日将軍木曽義仲とともに、俳聖松尾芭蕉も葬られているからです。

 

このお寺に向かったのは琵琶湖ホールでのいちょう組のクシコスポストの演奏が終わった後のこと、広くもない寺領を散策した後、芭蕉の“古池や
かわず飛び込む 水の音”の自筆の短冊を“こどもの広場の巻頭言”に使わしていただこうと購入しました。

今にも降って来そうな天候のなか、その後は、琵琶湖を左手に見ながら、江戸時代弥次さん・喜多さんも通ったであろう旧東海道をたどり、石山寺へ向かいました。7キロ内外だったでしょうか。

桜や紅葉の頃、名月の季節などは大賑わいを見せる石山寺ですが、折りからの寒波で訪れる人もまばらです。しかしながら、少なければ少ないで、賑わっている時には見えなかったものが見えて来ます。

その一つは、“まんが日本昔ばなしのDVD第46集”にも出てくる東大寺の修行僧で、多くのカラスにさらわれ、柳生の里の大きな杉のてっぺんに吊り下げられたという“良弁和上”がこの寺の開祖であったということです。“まさか、あの小僧さんが・・・”と改めて感動したのでした。これらは子どもたちにも分かるお話です。

もう一つは、源氏物語の作者である紫式部の像が展示してありますが、この像は、御所人形作家、第10代の伊藤久重氏の作品だったということでした。伊藤氏の御所人形は、広野幼稚園でも一つはほしいと願っているものだからでした。

 

お寺を出て湖畔のお店で食べたシジミご飯は、寒さに加えて遅いお昼でおなかもすいていたので、最高のおもてなしでした。